風に吹かれて

日常の出来事、思い出、などを綴ります

母を思って、カツっ!

   


母が施設に入所していたとき、りんご畑の傍をよく歩いて通りました。


たわわに実ったりんごが 土に触れそうなくらい低い所まで垂れ下がり


手を伸ばせば、もぎ取ることができそうでした。



母は 21才のとき 父のもとへ嫁いできたのですが、これが 災難というか  ('◇')ゞ


家族は 総勢  7名・・度肝を抜かれたはず。


というのは、戦争で同じ部隊にいた上等兵に『妹を嫁にどうか』と言われ


父は 承諾し、( 母は 、よく父の内情も知らずに 承諾し。)


終戦後のことで (  結婚したその日に ご対面~というほどではないにしても)


それに近い状態で 運命を共にしたわけです。


家族7人の中で、食事や 洗濯  帳簿の記入 ( 商売を営んでいたので ) 


それに 育児・・と 発狂寸前?の生活をしたと思います。


私だったら 逃げ出していたかもなぁ  (幸い 父と母は 相性ピッタンコであった) 


母は 男兄弟のなかに ひとり女の子という お姫様然として育った人なので


婚家の生活は 筆舌に尽くしがたいものであったと思う。


そんな母は 父が亡くなったあと 体が不自由なこともあって 施設のお世話になり 


余生を送りました。 ( 『 自分の家に 帰りたい~』と口癖のように言い続けながら)




母の作った俳句が 新聞に掲載されたときには 最上級の笑顔で自慢していました。


          赤とんぼ  
             帰りたいな  
                 子供のころに


          これを 方言で書いたわけです。



ん? ここまで 長々と書いて 何が言いたかったのか・・ですよね~。 


最近 自堕落になってきているため カツを入れるために 書きました。


母が努力していた様子を 思い出しながら。


おつき合いをさせてしまいましたね。 すみません。




おまけ・・と言ってはなんですが


 

       
      シールを貼ったようなりんごを、
   ご覧になったことがあるでしょうか。


   作り方は りんごのアントシアニンと
   日光の作用を利用したものなんですよ。


   では その作り方を・・。
 



 ① りんごに 実がついたら袋を被せます。


 ② ある程度大きくなったら 袋を外し、好みのシールを貼ります。


 ③ そのりんごを日光に当てると アントシアニンができ赤くなり


   シールを貼った部分は 白いまま というわけです。


 ちょうど 日焼けしたとき 腕時計をした部分が 白くなるのと同じ・・・かな。




          読んで頂き、ありがとうございました。

         
          くれぐれも、コロナや、熱中症に 気をつけてくださいね。


                                ではでは。