風に吹かれて

日常の出来事、思い出、などを綴ります

戦隊ヒーロー32代目




            My     dear  bloggers . (カッコつけてみた)



   関西方面では もう水仙が咲いているとか。


   お花を見るたびに その造形に感歎します。


   万物を創造した神よ!


   ありがとう・・


   



私の記事は たま~に WEBからヒントを得ることが あるのですが、


今日もまた その路線でいきま~す。



ところで 今日ほど胸が痛んだ記事はなかったです。 あまりにも過酷すぎて・・(涙)


スーパー戦隊シリーズに出演した古原靖久さん(37)の生い立ちです。


そういえば「朝イチ」に出ていらしたような・・。




高校を卒業するまで 児童養護施設で暮らしていた。


お母さんが16歳のときに産んだ子どもで、若い両親に育てられた。


一番古い記憶は3歳くらいのとき。お父さんが飲んでいたビールの缶を、


こぼしてしまい、 飲むように強要された。 ひどく苦かった。


また 朝の8時から夜中の3時まで正座させられたこともある。



お父さんとお母さんが2人とも夜の仕事だったので あまり家に帰って来なかった。


そうすると、たまにおじいちゃんが遊びに来て、


おむつが何日も替えられていないことに気付き、両親が叱られていた記憶がある。


いわゆる 育児放棄(ネグレクト)状態だった。両親が離婚し 養護施設に入った。


養護施設に お母さんは 最初のころは頻繁に会いにきてくれたが


半年に1回、1年に1回と頻度が減っていって、小学5年生のとき ついに来なくなった。



養護施設では いじめにあう、 先生にまでも。


間違っていることや理不尽なことで怒られた時に「ごめんなさい」と謝れなかったし、


顔にも出てしまう。 それで 先生たちの間でずっと嫌われ続けていた。


また、「自分の服は自分で洗濯しなさい」と言われて、


小学校何年生かまではずっと、バスタオルから服から靴下から、


全部自分で洗濯板を使って洗濯していた。


他の子たちへの見せしめになっていたんじゃないかと思う。


勘違いしてほしくないのは、 ほかの施設も同じような環境 というわけではなく


アットホームな施設はいくらでもあったということ。



施設で育って 良かったことは 生き抜くすべを身に付けられて


人のことを見る力が養われてきたこと。


厳しい環境で育つと「自分に対してこの人がどう思っているのか」を


すごく敏感に感じられるようになった。


いつも先回りして「この人は俺のことを嫌いになるだろうから、


嫌われる前に離れよう」とか、少しずる賢くなったり・・。


気が付いたら そういう処世術のようなものを自然と身につけていた。



そして 4年前に突然「お母さんは病気で亡くなった」と DMが 届いた。



以上ですが WEB記事全文を書いたわけではなく 端折って書きましたので


おかしな文になっていると思います。 お許しください。


最後に 古原靖久さんがグレずにに大人になったことが 何よりも嬉しいです。


( と傍観者の私が言える立場ではないのですが。)


ドラマ化されてもおかしくないほど 波乱万丈な人生ですね。


これからは ずっとずっと幸せになってほしいと思います。


最後に、皆様に何かを感じとって頂ければ 幸いです。





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長々と書きましたので
疲れたでしょうね

読んで頂き
ありがとうございました